序章 ぽくちんの章 「食について考える」の章 |
序章動物たちは貪りふけり、人間は食べる。才知ある人だけがその食べ方を知る。 ジャン・アンテルム・ブリヤ・サヴァラン(1755〜1826、美食の国フランスを代表する美食家) 「あの食への旅」…わたくしたち権丈志士が論文が上手く進まないとき、what's newのネタが思いつかないとき、そしてテストのノートがさっぱり理解できないとき、わたくしたちは(人によって頻度・度合いはまちまちだが)しばしば現実逃避をする。その現実逃避の方法は歴史小説やサッカーゲームから湘南の海・河口湖まで幅広いが、全員に共通するもの。それは「食べる」ことである。食べることは手軽にある程度満足を得ることが出来るため格好の現実逃避の材料となるのである。この記事は皆さんの食欲をそそり、「カップラーメン食べたい」とか「そういえばベビースターラーメンあったな」とか思っていただくことを目標として書かれた格闘の記録である(欲望との)。今回は「LAST TRAVEL」ということで今までとは少し趣向を変え「食」について考えてみようと思う。鍋でも食べながら。そう、結局食べるのである。と、その前に「ポクポクポクチン」についても語ろうと思う。 |
ぽくちんの章
途中わたくしが個人的に日吉で過ごした「もうひとつの青春」の象徴であったゲームセンターがなくなっていたことにショックを受け、ふらふらになっていたが、なんとかたどり着くことが出来た。このたたずまいはかなり普通であるが、内容が普通じゃない。ラーメンは「原始時代」をイメージしたようなつくりになっており、マンモーと呼ばれる「マンガ肉」(骨付き肉)や、「なぜこんな名前なのか」という問いに対して全く仮説が浮かばない「ウエボ」という味玉など一応個性的になっている。しかし個性的な店ほど裏に何かが隠れていたりすることもある。意識すればするほど何とか「違うモノ」にしようと躍起になる。隠そうとすればするほど不自然になる。頭かくして尻隠さず、そんなものである。そして外の券売機(?)で食券を買う。男のプライドで「大盛り」である。しかし「麺が多い」という注意もあるようだ。・・・ん?そして麺が太い、野菜が多い、スープに漂う背脂…ん?どこかで聞いたことあるようなスペック…。そしてブツが現れる。もうその頃には不安は確信に変わっていた。 いくら「インスパイア」が流行だからといって、やはりエイベックスも許されないのであって、こんな行為許されてはいけないのである…。麺が太い。どこまでも麺が太い。そう、あくまでも「インスパイア」なのである。またきっちりにんにくの量まで聞いてくれる。しつこいようだが「インスパイア」である。そして立地は「日吉」という今まで需要があるにも関わらず供給が「らすた」しかなかった場所である。まぁ、こんなことばかりを言っていても仕方がない。時間はもとには戻らないのだから。受け入れよう、この事実を。そして食べよう。ということで食べようとしたとき、わたくしはふと希望を見出した。「そうだ、味は、味は違うはず…」。そう願いながら食べた一口目…。
確かにインスパイアされた味であったが、わたくし個人としては○郎のチャーシューには火がしっかり通ってないのに対して、こちらはしっかり火が通っていたので、ポクポクポクチンもアリではないかと考えている。「そんなことかよ」と思われる方もいるかもしれないが、本当にそれくらいしか差がなく、正直○郎直系の店かとも考えたがHPを見ても、「日吉店」なるものは存在しない。というよりこんな無茶苦茶な名前を付けていたら、のれん分けしてもらえないような気さえもする。
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「食について考える」の章自分の胃袋のことを構わない人間は、他のなにをやっても駄目だろう。 サミュエル・ジョンソン (1709〜1784、イギリスの作家・詩人。「英語辞典」の編纂者) このように、わたくしは食べに食べて、今も鍋を食べているのだが、「食べる」ということについて考えてみよう。鍋はやはりキムチ鍋に限る。またキムチ鍋の素は「モランボン社製 キムチチゲ用スープ辛口」がオススメである。そしてキムチ鍋を食べると言ったら、必要なのはビールである。ビールはなんと言っても「アサヒ スーパードライ」である。もちろんわたくしごとであるが、わたくしと鍋をするときはこの設定でお願いしたい。
これで少し理解できた気がする。食事とは、本来生存のために生命体を「食」す行為のことである。自然界のサイクルとして最も根本的な部分のひとつである「食物連鎖」の最終部分をわたくしたち人間が担っているのである。しかし現代はその意味が分業化によって分断され(わたくしたちはよほど特異な機会がない限り、直接生きた生物を食べるために殺しはしない)、パック詰めにされ、すでに生命体ではなくなった「食べ物」を購入し、食事する。これは自然の姿ではないということはわたくしにも分かるが、これが「正しいことなのか、そうでないことなのか」は判断しかねている。社会が発展していく上で分業化はほとんどの文明が通ってきた道であろうし、何より合理的である。 |