□ もうひとつのゼミ紹介「文達」編

この間ゼミ紹介というものを書いたのですが、そこでは伝えきれなかったことを、この場をお借りしてお伝えしようかとおもいます。もはやタイトルとはかけ離れていますが…。 わたくしたち権丈ゼミでは、「文章の達人」というものを行っています。あるゼミ員が提供した数値データ(グラフ、表など)を読み、考えたことを400字の文章にまとめます。これをほかのゼミ員たちが評価する、というものです。

実際にやってみてまず感じることは、とにかく400字というのは短い、ということです。はじめは、考えたことをこの字数にまとめることは至難のわざだと思います。しかし、訓練するうちに、だんだんとうまくまとめられるようになります。それを可能にするのは、おそらく、考えたことについて優先順位をつけられるようになることです。言い換えると、枝葉末節を多少は見分けられるようになる、といえるかもしれません。この人がいちばんイイタイコトは何なのかを考えたときに、これは絶対に書かなくてはならない、あれは書かなくてもいいな、という判断をするのです。それは結果的にわたくしたちのゼミのテーマである「本質を見抜く」という行為につながっていきます。400字というかなり厳しい字数設定は、わたくしたちにそういったことを要求していると思われます。(ちなみに、今ここまでで500字くらいです。)

また、数値データを用いるというのも特色のひとつです。これによって、数値データの見方を毎週訓練することになります。資料提供者がデータを持ってくるとき、そのデータにはその人なりの考えが反映されています。言い換えると、その人に何か考えがあって、それを示すために証拠としてデータを持ってくるわけですね。しかし、そのデータの選びかたに難があってその意図がよく伝わらなかったり、選びかたが恣意的で論理的におかしかったりといったことがよくあります。とくに数字はそれ自体が客観的なものであるために、その数字たちの裏にかくれた主観や恣意性(すこし難しくいうと「偏向(bias)」といいます)を見抜くためには、日常的に訓練していないと難しいでしょう。文達において「考える」ことは、このようなことを見抜くということも求められています。これは、世の中に氾濫する数値データのおかしいところを見抜く訓練にもつながっていきます。なお、数値データのおかしいところを見抜く方法を解説した本に、『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』(谷岡一郎著、文春新書、2000年)というものがあります。ちなみにこれは、もしゼミに入ったら読むことになる本なので、興味のある方は読んでみることをおすすめします。

そして、卒論に関するデータを提供するというのも特色として挙げられます。先生のゼミ紹介のカリキュラムを見ると、文章の達人の項目で「チーム」のところに○がついています。一見すると少し不思議です。なぜ各人が文章を書く企画に「チームを作る」という要素が含まれているのでしょう?これはわたくし自身も長いあいだ疑問に思っていました。しかし、先生のいろいろな話から、どうもその意図が少しずつ見えてきたような気がします。ある人の卒論に関するデータをみんなで読み、まじめに考えてみることで、ゼミ内のほかの人への関わりあい(commitment)をもつことが大事なのではないか、ということです。他人との関わりあいをなるべく避けようとする現代において、他人のしていることについて真剣に考えることはあまりありません。そんななかで、権丈ゼミでは、そういった関わりあいが大事にされています。文達において他人の卒論を読むということには、どうもそのような効果があるような気がします。

わたくしたちが行っている「文章の達人」には上記のような効果が考えられます。もちろん、みなさんが実際に文達を書いていくうえで新たな価値を発見するかもしれません。ぜひ、そのような人たちと来年度のゼミを作り上げていきたい、と思っています。
それでは失礼します。

文責:森高

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