++ 映画 ++



NO.29  『エミリーローズ』

 悪魔が取り付いた女の子の話。その彼女は結果的に死んでしまうのだが、彼女の悪魔祓いを引受けた神父が過失致死罪で訴えられ、作品ではその法廷論争を描いている。悪魔が存在するか否かはよくわからないが、この作品のおもしろいところは法廷での検察側と弁護側の論争であろう。陪審員制度がどのような仕組みになっているのかがよくわかる。客観的に裁判を見るならば、あれは陪審員に対するプレゼン対決に他ならない。真偽にかかわらず有能な弁護士を見方につければ負けるはずがないのではないだろうか。悪魔と言う非現実的な話を法廷という現実的な世界で立証するための工夫の連続に興味をそそられ、とてもおもしろい作品であった。ただちょっと怖い。


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NO.28  『東京タワー』

 登場する人物のほとんどを理解することができなかった。唯一理解できたのは加藤ローサのみ、岡田准一、松本潤、黒木瞳、寺島しのぶ、その他ほぼ全ての人々は私の知っている人間の思考回路ではない。もしかしたらこれが大人の世界なのかもしれない、そう思い込み、納得するしかなかった。この作品に共感する女性は多い、とすると私の理解を超える人々が世の中には少なからずいて、そんな人々とこれから関わりを持って生きていかねばならないのだろうか。歪んでいると思うのは私だけなのか、固定観念に縛られすぎているのだろうか、人を信じる自信をなくしそうだ。


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NO.27  『子ぎつねヘレン』

 カメラマンの母親の仕事の都合で北海道にいる獣医のもとに預けられた小学生の太一。彼はある日、母親からはぐれた子ぎつねを発見。子ぎつねにシンパシーを感じて拾ってしまった太一だが、実は子ぎつねは目も耳も鼻も不自由だった。そこで太一はヘレンと名づけて親代わりに育て始めるのだが。といった小学生向けに作られた作品。  やや美しく作りすぎている感じはするが、命の大切さや、子供の素直さなどが伝わってくる。また子ぎつねの表情が愛らしく見ていて和んでしまう。お子様にどうぞ。


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NO.26  『私の頭の中の消しゴム』

 韓国映画ならでは。感情移入して観ている間は涙も出る。大切な人の頭の中から自分の存在が消えていく、それはすごく恐いことであるし、悲しいことであるから。しかし、ただそれだけという印象は否定できない。この作品を見ることで、何かを考え始める切欠になるほどのインパクトはなかった。涙を流したい時に観るならば私は拒みはしないと思う。


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NO.25  『the 有頂天ホテル』

 「ラヂオの時間」「みんなのいえ」に続く三谷映画。作品の中に様々なストーリーがちりばめられており、観ている方は正直忙しい。しかし、そこがこの映画のいいところでもあり、同時並行で進む幾つかの話のつなげ方は愉快で楽しい。ただ、私の観察力がないためだと思うが、見終わった後におもしろいしか残らないという意味では少し物足りなさを感じる作品だった。笑いたい時にはいいと思う。


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NO.24  『みんなのいえ』

 一見すると相反する判断軸を持つ2人が1つのものを作ってゆく過程で判断軸の根底に共通の思想が存在することを見出してゆく。世の中、対立した論陣にいたとしても、議論を重ねれば目的は同じことが判明することは多々ある。要は手段をどうするかであり、馴染の手段に固執してしまっているだけなのだろう、対立する人々は。


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NO.23  『ALWAYS 三丁目の夕日』

 東京タワーができる頃の東京、集団就職のため田舎から東京に出てきた子とその周りの人々を描いた作品。当時生きていた人が上手くできていると言っていたので見に行った。自分の親の世代はこんな世の中で生まれ、そして生きてきたのかと素直に感嘆してしまった。道や建物、全ての住環境が数十年でこうも変わってしまうのかと、わかってはいたものの驚きは隠せなかった。また驚いたと言えば、当時の近所との人間関係もそうである。家の中にいても、外に出て行っても、必ずそこには人の目があり、コミュニケーションの連続が強いられる。今を生きる私にとって、それは鬱陶しくもあるが、また暖かくもあり、ともて羨ましかった。

 この映画を見て考えることは非常に多い。この感想には書かなかったかが、経済成長がもたらした様々な問題はこの時代と対比することでわかることも少なからずあるはずである。この先、この作品に関しては感想を書き足していこうと思う。


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NO.22  『さよならクロ』

 ひょんなことから中学校に住みつき、学校の一員となった犬、クロの話。ストーリーは真新しいものでもなく、また映像も特に凝ったつくりではなかったためか、それほど強い印象は残らなかった。しかしながら、人間の自分本位な思考によってクロを追いやろうとする側面とクロの従順さの側面とが強いコントラストを出しているため、後者が非常に象徴的な印象を私に与えたのは確かである。従順、言い換えれば素直とも捉えられる犬の―クロの―性格が自分以外を思いやる気持ちの大切さ、それがもたらす温もりみたいなものを伝えているような気がした。もちろん、これは私の勝手な想像なのだが。


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NO.21  『花とアリス』

 いつもの感想なら映像の美しさをほめるところだが、岩井俊二監督の作品なので言うまでもないかと思う。そこで今回は作品の内容についてコメントしようと思ったのだが、一つ一つの場面が独立した短編映画のように感じられ、しかもその場面場面に明らかにメッセージを含ませている意図は窺えるものの、それを使ってどのようなメッセージを伝えようとしているのか、また全体の流れの中でどういった役割を担っているのかがわからず、難解な印象を持ったとしか言えないのが正直な感想である。しかしながら、『リリィ・シュシュのすべて』の時とは対称的に光を多く取り入れて神秘的な映像に仕上げているためか、解放的な印象を受けた。事実映像と相俟ってか、観終わってから「解放」という言葉が頭に浮かんだ。正直、この解放が何を意味するのか自分でもよくわからない。何度も観なおしたい作品である。映像を見るだけで観る価値はある。


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NO.20  『リリイ・シュシュのすべて』

 前評判で観る人によって賛否が分かれると聞いていたが、私は残念ながら後者である。内容があまりにも陰鬱で好きにはなれない。確かに少年時代の暗くそして残酷な部分を上手く映し出しているとは思う。しかし、映画を観ることで明るい気分になることを意識の根底で求めている私にとっては、観たいと欲しない陰鬱な内容は印象に残らず、無味乾燥な暗い作品として捉えてしまった。一方で、素晴しいと思った部分もある。それは場面場面の構図である。『Ray』同様、1枚の写真として切りとっても人を惹き込むに十分な美しさがある。写真好きな私はそこばかりに目がいってしまった。


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NO.19  『いま、会いにゆきます』

 内容はいわずもがな。この映画を観て久しぶりに大泣きした。最も強く感じたことは大切な人がいる生活がどれほど幸せなものでどれほど掛け替えのないものなのかということ。60億を超える人の中でたった1人の人がいるだけで、人生というものは想像しがたいほどの彩を帯びてくる。もちろんそれは幸せばかりではなく切なさや悲しさも含んだ幸福という彩。私もそんな色彩に富んだ人生を送りたいという憧れを抱かずにはいられなく、とても心温まる作品だった。


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NO.18  『69』

 「青春」を感じる作品。舞台は1969年の佐世保。目立ってモテたいがために学校の屋上をバリケード封鎖してしまう、というかなりフザけた映画である。しかしながら、フザけた映画ではあるが、その中にも不純な動機や妄想が出発点となって行動できてしまう若々しさが面白おかしく表現されていて見ていてとてもすっきりした。

 私自身の高校時代を振り返ってみると、映画と変わらないくらいフザけていたなと笑ってしまう。妄想を膨らませてリスクを考えずに突っ走ってみたり、モテたいがためにバンドをやったりバイクに乗ってみたり。もしかすると不純な動機こそが私の動機そのものだったのではないかと思うくらい不純である。しかしながら、不純であるが故に気持ちよかったりもする。他人には決して言うことができない理由で行動していることに自分だけの世界を感じることもできた。ある意味、不純な動機は狭い世界しか知らない自分自身に新しい世界をもたらす自衛手段だったのかもしれない。


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NO.17  『ミリオンダラー・ベイビー』

 周りの人の評価が高かったので観てみたが、私はあまり好きではない作品だった。しかしながら、賞を獲るだけあって全く無味乾燥な作品ではなく所々考えさせられる部分もあった。社会の下層に生きる人たちの暮らしや彼らが何かに人生を賭けてみたいと思う状況など、恵まれた環境にいる私には到底体験することもできない世界を見ることができた。そのような世界を見ると、いつも私は何もできない私自身に、そして見てみぬ振りをして何もしようとしない私自身に嫌気が差す。だから私はこのような作品が好きではないのかも知れない。また、身近な人が植物状態になったときの愛の行方も、ドラマの中ではありきたりなシーンの1つだが、あらためて見ると生命維持装置を外してしまう気持ちもわからなくはない。私自身がその状況になったらと考えてみても想像もつかない。もしかしたら、人を殺すことが悪であるという常識すら頭の中から消え去ってしまっているのかもしれない。そのようなことを作品を最後まで見て思った。最後に映像に関して、光と影の使い方がとても印象的で、カラバッジョやレンブラントの作品を見ているような気分だった。


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NO.16  『恋愛寫眞』

 「写真を撮りに行こう。」これは私がこの映画を観終わった時に最初に思ったことである。きっとこの映画の中に出てくる写真がとてもキレイなものばかりだったから、そんな写真を自分も撮ってみたいと思ったのだろう。あまりの多忙さゆえに、写真を撮りに行く時間を取れなかったから写真を撮りに行きたいと思ったのだろう。いずれにせよ、この映画は1人の人間に写真の魅力を再認識させた。私の心を動かした作品の中の1つである。一方で、ストーリーそのものは所々共感する場面はあったもののあまり印象に残っていない。それよりも、映画全体を通しての映像の撮り方の方が印象に残った。様々な採り方をしているのでそういう意味では楽しめる。

 さて、字数が余ったので、なぜ私が写真好きかということについて。よく夕陽など綺麗な風景の写真を撮っていると、「目で見たほうが綺麗だよ」と言われる。もちろん私も綺麗な景色は目で見ても綺麗だと思うし、目に焼きつけ記憶の片隅にしまっておこうと思っている。あるいは目で見たほうが綺麗なものがあることも否定しない。しかし、ファインダーを通して見る世界は目だけを通して見る世界の何倍もの発見がある。写真を撮らなければ一通りの画しか見ることができない。それに対して、写真はその瞬間に気付かなかった細部の、背景の、脇役の感動に気付くことができる。もっと目が鮮明に見えたらどう見えるのかなど無数の感動がそこにはある。一瞬でいろいろなものを認識したり、想像できる人間ではないからこそ写真が好きなのかもしれない。


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NO.15  『笑の大学』

 戦争直前の頃の検閲官と喜劇作家とのやり取りを描いた舞台を映画化した作品。内容は笑いを知らない検閲官が劇中から笑いを無くすよう作家に何度も無理難題を押し付けるにつれて作品が面白くなっていく、というもの。威圧的な検閲官を演じる役所広司と変な熱さを持っている作家を演じる稲垣五郎の役が上手くはまっていて、二人のやり取りの随所で微笑してしまった。そして、徐々に検閲官が笑いを知り始めるという人間ドラマが混じり始め、気付くと検閲をしつつも二人で作品を作り始めている。しかし、作品が完成した時…

 この作品は劇中劇の話を劇中でやっているのでとても変な感じがする。一度舞台で見てみたかった。また、専門的なことはわからないが、カメラのアングルが各場面で臨場感があるというか、上手く役者の表現を助けていたような感じがした。直感だが三谷幸喜作品は何度も観たほうが味があるような気がする。機会があればまた観たい。

 余談だが、街中にきれいなお姉さんがいるのを発見し、よく見たら加藤あいだった。


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NO.14  『デイ・アフター・トゥモロー』

 ハリウッド映画にありがちなとにかくパニックパニックしている作品。温暖化が進んで極地の氷が解け始めて地球が一気に氷河期に、と言う内容。実際の自然界で起こってみないとどうなるかわからないが、少しやりすぎな印象を受けた。ところで、アメリカ人はこの映画をどんな気持ちで観ていたのだろうか。京都議定書が頭の片隅に浮かんだりするのだろうか。それとも、迫力のCGでパニックを疑似体験してそれで満足なのだろうか。おそらく後者だろう。現実味のない設定がそれに拍車をかけている。上記のように環境問題の作品として観ると感想はあまりない。

 しかしながら、視点を変えて、親子愛の映画として観ると多少の驚きがあった。ニューヨークに取り残された息子を救うべく父親がそこへ迎えに行くのだが、息子は父親が「迎えに行く」と言った言葉を信じてやまず待ち続ける。これは映画の中だからこのように描かれているのか、それとも、アメリカ人一般に言えることなのか。もし後者であるとするならば、他国の人にも同じ心を持って接してもらいたいものである。


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NO.13  『髪から始まる物語』

 この作品は行定勲監督の短編映画三部作で、化粧品メーカーの商品に鑑賞券が付いていて、その鑑賞券があると観ることができるいわゆる「ウェブシネマ」である。行定監督の作品で、柴咲コウ主演なので、作品もキャストもしっかりしている。一つの商品を売るのにここまでお金を掛ける時代になったのだなと感嘆してしまった。この企画でどれほど売り上げが伸びたのかは解らないが、目の前に商品が陳列されていてその中で鑑賞券が付いていればかなりの差別化になることは間違いない。商品の質も高ければ、化粧品の場合リピーターも多くなることが考えられる。なかなか面白いことをするものである。

 さて、内容は三部作なのだが、特に印象に残った第一部「復讐」について書いていこうと思う。まず、女性の方に思い浮かべてもらいたい。ここにどこにでもいる普通の妻がいる。結婚して数年、子供も小学生になってきた頃、夫が身なりに気を遣わなくなってきた妻に興味を持たなくなってきた。そんな時、妻は車の中で夫の愛人の綺麗な一本の長い髪を見つける。さてあなたはどうするだろうか。別れる、話し合う、見過すなど方法はいくらでもある。そう、この妻は復讐することにしたのである。ここからが特異。この妻は髪を伸ばし綺麗な髪を手に入れようと努力し始める。そして、美しい髪を手に入れ、髪を一本車の助手席へ…

 観終わって思うことは、行定監督もこんな経験があるのだろうかということ。愛人がシャツに髪を付けるとは稀に聞くが、本当に勘弁して欲しいものである。また、愛人と髪の美しさで勝負しようとするこの妻が滑稽であった。


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NO.12  『黄泉がえり』

 ある日突然、死んだ人が死んだ時と同じ状態で甦るという話である。この作品は2年前にも観たのだが、テレビでやっていたのでもう一度観てみた。しかし、何度観てもこの作品がヒットしたことを信じることができない。映画が始まって約10分程で映画の流れがわかるようなネタばらしをしてしまっているのだ。さらに展開も邦画ではありがちな男女のすれ違いでダラダラと進み、最後にはルイこと柴咲コウのプロモーションビデオかと思ってしまうくらい一人で3曲も歌い続けている。また、一部では草薙剛の声が割れていたり、分かり辛いカメラワークなど、私は専門家ではないので専門的な指摘はできないが、観衆の一人として映画の質が低いなと随所で感じた。これはあまり人に薦められない作品である。もし柴咲コウが好きならば、最後の30分のみ観ることをお薦めする。


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NO.11  『魔女の宅急便』

 この映画は思い出深い。『魔女の宅急便』は幼なじみの子の家にあって、家に行くと毎回のように観るのだが、私はいつも最後まで観れずに他の事を始めてしまい、全部通して観たことが今までなかった。よって、今回観るまで結末を知らなかったのだ。今となってはただの思い出話でしかないが。

 何はともあれ、あまりにも有名な作品のため内容は知っていると思うが、簡単に説明すると、魔女の修業のために黒猫のジジとともに生まれ故郷から旅立つ少女キキがいる。キキは新しく住み着いた海辺の街で空飛ぶ配達屋として生活する中で、さまざまな人と出会い魔女として成長していく姿を描いている。

 正直なところ、ジブリ映画を観ると心が洗われ、とても清々しい気持ちになる。21歳の男をアニメの世界に惹き込む宮崎駿はやはり天才だと観るたびに感じてしまう。キキの心の動きはキキの年頃の時を思い出させ、また、冷静に考えればほうきに乗って空を飛ぶ魔女なんてあり得ないにも拘らず、それをいかにも当たり前のように表現しているイントロ部分の使い方は素晴しいと思った。

 また、映像に関して言えば、キキが海から海岸に向かって一直線に飛び、右方向から船が直角に前進してくるシーンがあるのだが、アニメとは思えないほど船が綺麗な軌道を通っていて驚いてしまった。

 今回は最後まで観れてよかった。どうやら10数年という歳月は私を成長させたらしい。


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NO.10  『アメリ』

 「少女アメリの遊び相手は空想の中の世界。ちょっと冷たいパパと神経質なママのもとで、変わった力を手に入れた。不思議な動物とお話したり、金魚の“クジラちゃん”と仲良くしたり。両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べるのも好き。隣の意地悪な男には、最高の手で仕返しもする。大人になったアメリは、古いアパートで一人暮らし。アメリの生活は、とてもシンプル。趣味は、クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すことと、サンマルタン運河で水切りすること(水切りによさそうな石を道端で拾ってはポケットに忍ばせている)。そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。」

 映画『アメリ』はこんな変わった女の子アメリの物語である。ある日突然、アメリは「まわりの誰かを今よりちょっとだけ幸せにすること」をしようと思い立ち、いろいろな人にイタズラをはじめる。変な写真コレクションを持つニノに出会うまでは…みたいな内容。

 この作品はアメリを演じるオドレイ・トトゥ(AUDREY TAUTOU)の演技の素晴しさが、作品の良さを物語っていると思った。表情にしろ、立ち振る舞いにしろ、見事にアメリという変わった女の子を表現していて、これは演技なのか素なのか分からないくらいだった。

 一方、ストーリーはそれほど好きなものではなかったが、随所に登場するイタズラは子供の頃の気持ちを思い出させてくれて楽しめた。また『Ray』の時と同様に、この作品も1カット1カットがとても美しく、フランスの情景とレトロな色彩とが相俟ってとても魅力的な映像になっていた。

 吉田拓郎の「人間なんて」を聞いて人間不信になっている人がいたら、是非薦めたい作品である。人間にはいろいろな人がいるものだと言うことが分かるかもしれません。


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NO.9  『Jam Films』

 この作品は飯田譲治、岩井俊二、北村龍平、篠原哲雄、堤幸彦、望月六郎、行定勲、6名の監督による短編映画集である。当時(今もだが)、最も名を馳せる監督たちの作品だけあってどの作品もユニークで味のあるものばかりだった。

 中でも行定監督の作品が最も印象に残った。と言うか、くだらな過ぎて記憶に残っている。ある高校での出来事。英語の授業中、外国人の教師がポツダム宣言を音読し、生徒たちはそれをノートに書き取っている。そんな中、外に目を奪われている生徒が一人。東条(妻夫木聡)である。外では赤、青、緑の色とりどりのブルマの体操着を着た女子がハードルを跳んでいる。東条はそれを色分けしてその数を数え始める…と言った話である。話の中には行定監督自身の実話も隠されているらしいのだが、とにかくくだらない。こんな話を映画にとってみようとすること、またこれを愉快に仕上げているところがやはり名監督のなせる業なのだろう。

 この他の作品も監督それぞれの個性が出ていて楽しめた。短編映画は学生でも工夫すれば少ない予算で作ることができるので、卒業するまでに一度挑戦してみたいと思う。興味があれば、是非声を掛けていただきたい。


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NO.8  『Ray』

 この作品はソウルの神様レイ・チャールズの生涯を描いた映画である。ソウルの神様、レイ・チャールズと言われても名前は知っているが、正直に言って彼がどのような人物なのか詳しいことを私は知らなかった。神様と言われて頭に浮かぶのはペレぐらいな私にとっては見る前から興味をそそる。

 レイは幼い頃に光を失ってしまった盲目のピアニスト。目が見えないことはもちろん、彼はその生涯でさまざまな壁と対峙することになる。この映画はその彼がソウルの神様となるまでの波乱万丈な人生を描いたものである。内容もさることながら、私は映像の中に効果的に取り入れられている音楽の使い方の上手さに魅了されてしまった。

 この作品の中で使われている曲は当然のことながらすべてレイのものである。もちろん一曲一曲も聞いていて、品のない言い方かもしれないが、かっこいい。しかし、英語の歌詞がわからない私にとってその一曲はかっこいいだけでしかない。一方この作品の中で使われる曲は作曲された時のレイの気持ちや状況を映像を使って分かりやすく表現しているため、それまでかっこいいだけだった曲の中に命が吹き込まれたような感覚だった。また、映像も素晴しい。写真を撮る身としては、1カット1カットを写真として切り取りたくなるほど、色彩、構図などが美しく、こんな写真をいずれ撮ってみたいと終始思っていた。


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NO.7  『冬の運動会』

 「なぜ人は隠れ家を持ちたがるのか」

 本作品に出てくる人は皆戸籍上の家以外に精神的な家を持っている。精神的な家、それは本当の家からすれば隠れ家である。隠れ家、子供の言葉で表せば秘密基地であろうか。私にとって子供の頃の秘密基地は家にいたら怒られるに決まっている奇抜なことを現実に投影する場所であった。言い換えれば、自らのクリエイティビティーを最大限に発揮してやりたい放題いろんな物を作ったりいろんなことをしたりする場所である。

 しかし子供とは違い、大人の隠れ家とは何だろうか。本作品では、隠れ家は本当の家では充たされない何かを埋める場所として描かれている。親の愛情や息子への期待などがその何かである。確かに、不足した欲求を外に求める気持ちもわからなくはない。特に家から得られる満足は固定的であり、そこで不足するものは外で充たす他ないだろう。この関係は家に限らず、様々な場面で言えそうである。本物から得られないものを擬似から得ようとする。そして本物から得るものが固定的であればあるほど擬似へ逃避してゆく。

 なるほど隠れ家は人の心のバランスを保つ上で重要な役割を果たしているのかもしれない。とはいえ、やはり本当の家でそれを充たせるのが一番よいのだが。


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NO.6  『電車男』

 オ(ヲ?)タクを主役とする映画や本がなぜこれほどまでに人を惹き付けるのか。本を読んでいない私はそれが全く理解できなかったのだが、この映画を見て少なからずその理由がわかった気がする。

 電車男、彼のパーソナリティーは映画を観ている人に優越感を与える。オタクで彼女いない歴=年齢など、彼を形容するために並べられる言葉は社会的に見てネガティブなものばかりである。従って観ている人は彼のパーソナリティーを哀れみの目で眺めると同時に、自分より経験のない彼を応援したくなるのだろう。

 また、人は皆コンプレックスを持っていると思う。得てして、そのコンプレックスは人から自信を取り上げる。その代表例を電車男とすると、それを克服して成功していく電車男はコンプレックスを持っている人たちに希望を与えるのかもしれない。こんなコンプレックスの塊みたいな人間が頑張れるなら自分も頑張れると、私も希望というか自信みたいなものを少なからず感じていた。

 深いことを考えなければ、気晴らしに楽しめる作品である。


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NO.5  『トップガン』

 トップガンとはアメリカ軍パイロットのエリートが集まる空中戦教育のための訓練校である。そこでの物語が本作品であり、海猿の海同様、空の厳しい世界が描かれている。内容はそれほど特筆すべきところはなかったが、私は終盤のある出来事に対するアメリカ人の態度に驚いてしまった。

 トップガンの卒業式の途中、突然出撃命令が出された。アメリカの情報収集船が他国の領海を侵犯してしまい、敵国の戦闘機の標的となっているため救援に向かうという命令であった。出撃の末、敵国戦闘機を撃墜することに成功し、待機していた仲間たちが大喜びするシーンがある。このシーンに私は驚いた。

 そもそも敵国に進入したのはアメリカ艦にも関わらず、それを追い払いに来た戦闘機まで撃墜して歓喜の声を上げている姿は如何にもアメリカ的だなと思ってしまう。アメリカ中心と言うか何と言うか、20年経った今もアメリカ中心の考え方は依然変わっていないようである。


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NO.4  『海猿』

 海上保安官の中のわずか1%しかなれないという海難救助のエキスパートである潜水士。それを目指し訓練する14名の姿を描いた作品である。海上保安庁の協力もあって、訓練生の姿や潜水士が直面する海の危険は観ているものを圧倒する臨場感を持っていた。海を守る男たちの強さを感じずにはいられないというのが私の率直な感想である。また、私は彼らの力強さだけでなく、絆の強さにも心を打たれた。潜水士はバディと呼ばれるパートナーと二人一組で行動するのだが、その二人の絆はもとより、そこから派生する訓練生全体の連帯感は見ていて清々しく、心が洗われるようであった。

 青春映画はたまに観ると、とても気持ちが良い。誇大に表現しているためか、頻繁に観ると嫌気がさすが、やはり時々観ると「殺伐とした世の中がパッと明るくなって見える」、そんな気がする。このようなところが青春映画の醍醐味ではないだろうか。


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NO.3  『トロイ』

 紀元前12世紀に起こったとされるトロイ戦争を題材にした作品である。さすがハリウッドと言わんばかりの壮大な映像もさることながら、内容もとても興味深いものであった。

 中でも人間の欲望に対する執着に焦点を絞って作品を眺めるとおもしろいことに気づく。作中の人物はそれぞれ野望を持っているのだが、それが権力であり、栄光、名誉、時には愛であったりする。アキレスに限っては永遠の名声を手に入れるために戦い続けた。富や権力、地位などには目もくれず、ただただ後世まで語り継がれる名を歴史に刻むことだけ目的に戦っていたのだ。他にもトロイの王子やスパルタの王のアキレスとは異なった野望を見ていると、人間が最も価値を置くものが何であるのか、また私は何を価値の源泉としているのかについて苦悩してしまう。

 あえて言うならば、私は苦労してより高い壁を乗り越えることに価値を見出しているのだと思う。過去の偉人たちのように権力や名誉などと言った大きな野望ではないのは確かである。まあ、私にとっては大きなことなのだが。


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NO.2  『ジョン・Q -最後の決断- 』

 医療保険制度の問題を中心に据え社会の私欲に満ちた側面をまざまざと見せ付けられた作品だった。金のある者には優しく金のない者には冷酷な病院をはじめ、労働者の同意なしに経営者のコスト削減を目的にした加入保険の変更、昇進のために市民の支持を得ようとカメラの前に姿を現す警察の本部長、さらには数字と人気のために手段を選ばないテレビとそのキャスターなど彼らの仕事の動機の元をたどれば結局私利私欲の追及である。そんな社会では弱者は生きてゆけない、特に医療の世界では。

 本来医療とは人の命を助けることを目的とし、営利を追求する手段ではない。しかし、その世界に市場という概念を持ち込めば、たちまち競争が起こり、利益を出せない者は淘汰されてゆく。そうなれば病院は金を持たない利益をもたらさない病人を相手にしない。つまり、所得の差によって享受できる医療サービスが変わってくるのである。合理的といえば合理的だが、医療の場合失われるものが人命であるだけに簡単には切り捨てられない。国がこれをどのように捉えるかで制度に違いが生じてくる。

 ジョンは明らかにアメリカが選んだ制度の被害者であった。追い詰められた彼は蛮行に走ることになり、その中で息子との別れ際に「優しくあれ、それでいて金を儲けろ」言うシーンはアメリカの医療制度の問題点を如実に指摘している。金があれば何でもできる社会、裏を返せば金がなければ何もできない社会なのである。

 この作品は日本のような手厚い制度の存在しない国の実情に触れるよい機会になった。これにとどまらずこの問題について考えを深めて行きたいと思う。


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NO.1  『コーラス』

< ストーリー >

 フランスの田舎の学校、それぞれが問題を抱え親元を離れざるを得なくなった子供たちが暮らす学校。校長は「やられたらやり返す」をモットーに子供たちを厳しく統制していた。ある時そこへ一人の音楽の先生が赴任してくる。彼は従来の校長のやり方を否定し、「合唱」で子供たちをまとめようと試みる。すると、次第に子供たちの雰囲気が変わり始める。天使の様な歌声を持つ一人の問題児を除いては…

< 感想 >

 難解なストーリーでは理解できない私にとって、非常にわかり易い作品であった。夢を持つこと、努力をすることの大切さや力で抑え込む教育の限界、音楽の素晴しさなどを登場人物をうまく使うことで表現していた。特に、音楽で子供たちをまとめ上げていく過程では、先生に抜群の包容力を持たせることで観ている私も子供たちの中にいるような気分にさせられた。また、感動的な最後で作品を締めくくっているので、映画として後味良く楽しめた。

 しかしながら私は作品の内容よりも主役の少年の歌声に感動してしまった。身体中がゾクゾクするあの感じは『戦場のピアニスト』でシュピルマンがドイツ兵の前で奏でるピアノ以来の感覚であった。特に彼がソロで歌うシーンの歌声には、体の隅々から湧き上がる儚さとでも言うのだろうか、いつかはなくなってしまうそのボーイソプラノの声にただただ聴き入るだけであった。

 声だけで人を感動させる「天使の声」。一度は生で聴きいてみたい。


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( C ) M . K A l l r i g h t s r e s e r v e d .

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