<印象に残った言葉>
本書『有閑階級の理論』を読み、その中から印象に残った言葉を一つだけ選び出すという作業がかなりの難事であることは本書を読んだ人にとって共通の認識ではないだろうか。彼の洞察はファッションやギャンブル、スポーツなど多岐にわたり、その個別具体的な洞察を挙げれば切りがない。したがってここでは最初に私の目に留まり、彼の論の根底に流れる思想を垣間見ることのできる言葉を紹介する。
「このような貧しい階級の場合でさえ、肉体的必要という動機の優越性は、しばしば推定されてきたほど決定的なものではない。もっぱら富の蓄積に関心を抱いている社会構成員や階級に関するかぎり、生存や肉体的な快適さという誘因はまったく重要な役割を果たしていない。所有権は、生存に必要な最低限といったものとは関係のない根拠にもとづいて開始され、人間の制度として成長したのである。支配的な誘因は富につきまとう妬みを起こさせるような栄誉であり、一時的であることと例外とを除けば、後の発展のどの段階においても、それ以外の動機がその優越性を奪うことはなかった。」
この言葉は第二章「金銭的な競争心」の一節である。私はこの言葉に出会った瞬間、少なからぬ疑いの目を持って読まざるを得なかった。人間が行う財の消費や取得、富の蓄積への支配的な誘因は、著者の言うところの、生存に必要な最低限を満たすことではなく、他人に妬みを起こさせるような栄誉を得ることであるという。しかも、貧しい階級の場合でさえこの支配的な誘因を当てはめることができるという。当初疑問を感じていたこの言葉も、多岐にわたる具体的な洞察を読み進めるにつれて次第に真実味を帯びてくる。そこがおもしろい。つまり、この言葉は多くの事象を抽象化したモデルであり、後の章で実証されていく仮説なのだ。それ故、冒頭に登場するこの言葉は私に強烈な印象を与えたのだろう。
<感想>
ソースタイン・ヴェブレンの痛烈な洞察によって嘲笑われた有閑階級の人々は彼の指摘に対して顔をしかめるしかなかっただろう。『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』(ロバート・L・ハイルブローナー著)の一節にもあるように「同時代の人々にはごく自然に見えた人間の行いが、彼にとっては人類学者の目に映る未開社会の儀式のような、魅力的かつ異国風で奇妙な行為に映った」のだから、常識を行動規範にしている人々にとって彼の時に皮肉を交えた指摘がどれほど不愉快で遣りづらかったのかは想像に難くない。
さて、私はエッセイの最後に本書『有閑階級の理論』を読もうと昨年から決めていた。上記のように『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』を読んだ際、彼を除く経済学者のほとんどは世の中の現状を肯定的であれ否定的であれ確固たる思想を持って眺めていたのに対して、彼は「現状がそうなっているのはなぜか」を突き詰めて考えることで客観性を保った考察を行っていたように感じたのである。価値判断の排除に徹底した研究は私にとって新奇であり、そういった目で世の中を眺めてきた偉大な経済学者の視点をその著書を通じて体感してみたかったのだ。
まず、合理的経済人――合理的行動仮説に基づき、常に経済的な利益に従って行動する概念上のモデル――は私たちがよく耳にする言葉であるが、彼にとってはこの概念自体が人間の行動の本質から大きな隔たりを持っているものとして認識される。人間の経済活動は経済的な利益がもたらす効用を使った基準のみで説明できるほど単純ではなく、社会的、文化的、歴史的、そして制度的な条件によって漸く規定され、説明できるものとしている。正直なところ、私は彼のこの見解に対して目を疑った。(私が経済学の基礎の部分しか学んでいないことの暴露になるが)経済学を学び始めてからこの方、常に合理的経済人は図表の上を我が物顔で闊歩し、それ相応の説得力を持って私の前に立ちはだかっていたのであるから、彼のこの視点を多分に含んでいる冒頭で紹介した<印象に残った言葉>が私に強烈な印象を与えたことは理解できなくもない。また、彼の見解に疑問を抱くと同時に、安堵感を持ったのも事実である。社会や歴史といった条件を付帯させることによって、それまで経済人の行動規範だけでは腑に落ちなかった人間の行動を説明することが可能になるからだ。つまり、社会や文化、歴史などの条件が常識や習慣を創り出し、それらが人間の経済活動の行動規範を次々と規定していくのだ。したがって、彼が世の中を眺める時には従来の合理的経済人ではなく、新たに規定された行動規範に基づくモデルを使って説明を試みるのである。そして、そのモデルを抽出する際に必要となってくるのが、彼の天賦の才である客観的な視点と膨大な量の社会や文化など多岐にわたる歴史的な事実なのであろう。
彼の指摘する顕示的消費や顕示的閑暇といった人間の行動は、したがって、1900年頃の常識や習慣――彼の言うところの制度――でしかない。それ故、現在では素直に受け入れることのできない見解もないわけではないが、それでもやはり、歴史的な事実に基づいて考察され規定された彼のモデルは<印象に残った言葉>も含め今も尚説得力を持ち続けている。「経済学者はヴェブレンを社会学者だと言い、社会学者は彼を経済学者と呼んだ」という話しがあるように、彼の洞察は経済学以外にもありとあらゆる知識が含まれている。エッセイを書くうちに明らかになったことだが、偉大な経済学者たちは様々な分野に精通している。中でもヴェブレンは哲学、文化人類学、民俗学、社会学、生物学、骨相学など群を抜いていたようだ。偉大なる思想は様々な知識を総動員して漸く創り上げられる知の結晶なのである。読み手である私はその偉大なる思想を如何に使いこなしていくか、それこそがエッセイを書き終えたこれから要求される大きな試練であろう。
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