++ エッセイ ++



NO.18  『有閑階級の理論-制度の進化に関する経済学的研究-』

 <印象に残った言葉>

 本書『有閑階級の理論』を読み、その中から印象に残った言葉を一つだけ選び出すという作業がかなりの難事であることは本書を読んだ人にとって共通の認識ではないだろうか。彼の洞察はファッションやギャンブル、スポーツなど多岐にわたり、その個別具体的な洞察を挙げれば切りがない。したがってここでは最初に私の目に留まり、彼の論の根底に流れる思想を垣間見ることのできる言葉を紹介する。

 「このような貧しい階級の場合でさえ、肉体的必要という動機の優越性は、しばしば推定されてきたほど決定的なものではない。もっぱら富の蓄積に関心を抱いている社会構成員や階級に関するかぎり、生存や肉体的な快適さという誘因はまったく重要な役割を果たしていない。所有権は、生存に必要な最低限といったものとは関係のない根拠にもとづいて開始され、人間の制度として成長したのである。支配的な誘因は富につきまとう妬みを起こさせるような栄誉であり、一時的であることと例外とを除けば、後の発展のどの段階においても、それ以外の動機がその優越性を奪うことはなかった。」

 この言葉は第二章「金銭的な競争心」の一節である。私はこの言葉に出会った瞬間、少なからぬ疑いの目を持って読まざるを得なかった。人間が行う財の消費や取得、富の蓄積への支配的な誘因は、著者の言うところの、生存に必要な最低限を満たすことではなく、他人に妬みを起こさせるような栄誉を得ることであるという。しかも、貧しい階級の場合でさえこの支配的な誘因を当てはめることができるという。当初疑問を感じていたこの言葉も、多岐にわたる具体的な洞察を読み進めるにつれて次第に真実味を帯びてくる。そこがおもしろい。つまり、この言葉は多くの事象を抽象化したモデルであり、後の章で実証されていく仮説なのだ。それ故、冒頭に登場するこの言葉は私に強烈な印象を与えたのだろう。


 <感想>

 ソースタイン・ヴェブレンの痛烈な洞察によって嘲笑われた有閑階級の人々は彼の指摘に対して顔をしかめるしかなかっただろう。『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』(ロバート・L・ハイルブローナー著)の一節にもあるように「同時代の人々にはごく自然に見えた人間の行いが、彼にとっては人類学者の目に映る未開社会の儀式のような、魅力的かつ異国風で奇妙な行為に映った」のだから、常識を行動規範にしている人々にとって彼の時に皮肉を交えた指摘がどれほど不愉快で遣りづらかったのかは想像に難くない。

 さて、私はエッセイの最後に本書『有閑階級の理論』を読もうと昨年から決めていた。上記のように『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』を読んだ際、彼を除く経済学者のほとんどは世の中の現状を肯定的であれ否定的であれ確固たる思想を持って眺めていたのに対して、彼は「現状がそうなっているのはなぜか」を突き詰めて考えることで客観性を保った考察を行っていたように感じたのである。価値判断の排除に徹底した研究は私にとって新奇であり、そういった目で世の中を眺めてきた偉大な経済学者の視点をその著書を通じて体感してみたかったのだ。

 まず、合理的経済人――合理的行動仮説に基づき、常に経済的な利益に従って行動する概念上のモデル――は私たちがよく耳にする言葉であるが、彼にとってはこの概念自体が人間の行動の本質から大きな隔たりを持っているものとして認識される。人間の経済活動は経済的な利益がもたらす効用を使った基準のみで説明できるほど単純ではなく、社会的、文化的、歴史的、そして制度的な条件によって漸く規定され、説明できるものとしている。正直なところ、私は彼のこの見解に対して目を疑った。(私が経済学の基礎の部分しか学んでいないことの暴露になるが)経済学を学び始めてからこの方、常に合理的経済人は図表の上を我が物顔で闊歩し、それ相応の説得力を持って私の前に立ちはだかっていたのであるから、彼のこの視点を多分に含んでいる冒頭で紹介した<印象に残った言葉>が私に強烈な印象を与えたことは理解できなくもない。また、彼の見解に疑問を抱くと同時に、安堵感を持ったのも事実である。社会や歴史といった条件を付帯させることによって、それまで経済人の行動規範だけでは腑に落ちなかった人間の行動を説明することが可能になるからだ。つまり、社会や文化、歴史などの条件が常識や習慣を創り出し、それらが人間の経済活動の行動規範を次々と規定していくのだ。したがって、彼が世の中を眺める時には従来の合理的経済人ではなく、新たに規定された行動規範に基づくモデルを使って説明を試みるのである。そして、そのモデルを抽出する際に必要となってくるのが、彼の天賦の才である客観的な視点と膨大な量の社会や文化など多岐にわたる歴史的な事実なのであろう。

 彼の指摘する顕示的消費や顕示的閑暇といった人間の行動は、したがって、1900年頃の常識や習慣――彼の言うところの制度――でしかない。それ故、現在では素直に受け入れることのできない見解もないわけではないが、それでもやはり、歴史的な事実に基づいて考察され規定された彼のモデルは<印象に残った言葉>も含め今も尚説得力を持ち続けている。「経済学者はヴェブレンを社会学者だと言い、社会学者は彼を経済学者と呼んだ」という話しがあるように、彼の洞察は経済学以外にもありとあらゆる知識が含まれている。エッセイを書くうちに明らかになったことだが、偉大な経済学者たちは様々な分野に精通している。中でもヴェブレンは哲学、文化人類学、民俗学、社会学、生物学、骨相学など群を抜いていたようだ。偉大なる思想は様々な知識を総動員して漸く創り上げられる知の結晶なのである。読み手である私はその偉大なる思想を如何に使いこなしていくか、それこそがエッセイを書き終えたこれから要求される大きな試練であろう。


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NO.17  『バブルの物語 -暴落の前に天才がいる- 』

 『バブルの物語』、本書はその名の通り過剰な投機と崩壊のエピソードを綴ったものである。著者のジョン・ケネス・ガルブレイスは、18世紀のフランスにおけるジョン・ロー事件やイギリスにおけるサウスシー・バブル、そして1929年の大恐慌など、陶酔的熱病的な投機がやがて急激に崩壊して悲惨な結末をもたらした過去の事例を紹介した後、投機から崩壊という現象に共通する要因を抽出することで、読者に対して投機とは如何なるものかを認識させ崩壊の犠牲にならぬよう警告を与えている。本書はこの事を読者に認識させるために過去に起こった「バブルの物語」を再三にわたり懇切丁寧に紹介している。

 まず、過剰な投機―バブル―は何故起こるのかについてガルブレイスは「自分および他人の知性は金の所有と密接に歩調を合わせて進んでいるという一般的な受け止め方を前提に、自分の洞察力が優れているという幻想を持った個人や機関が富の増大から得られる満足感の虜になり、結果として値をせり上げるという行動が生まれる」と分析している。確かに価格が上昇してゆけば自分が賢明な事をしていると錯覚してしまうのは無理もないと言える。その後、権威者の一言などが引金となり、暴落の時は突然訪れる。このとき、投機と崩壊に関わっていた人は自分が愚かであったとは思いたがらないため、外部的な要因を探そうと躍起になり、自らの投機が原因であるとは是が非でも認めようとはしないのである。ガルブレイスは、また、このようなエピソードは今後も繰り返されるであろうと予測している。歴史を知らず、一般的な楽観ムードに呼応し、自分が金融的洞察力を持っているという幻想に捉われている「過去の教訓」を生かせない人々がいる限りは。

 人が合理的に判断して行動することでバブルの崩壊という歴史は繰り返すようだ。周囲が楽をして儲けられる話で盛り上がっている傍ら懐疑的になる事など合理的に考えたら土台無理な話である。然らば、バブルは永遠に不滅であり、バブルを如何に楽しむかを考えた方が生産的である、と私はそう思う。


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NO.16  『孫正義氏の講演を聞いて』

 「二十代で名乗りを上げ、三十代で軍資金を最低で一千億円貯め、四十代でひと勝負し、五十代で事業を完成させ、六十代で事業を後継者に引き継ぐ。」これはソフトバンクの孫正義が19歳の時に立てた人生50年計画である。彼もまた他の名立たる経営者たちと同様に鋭い分析力と行動力を持ち合わせた野心家であったようだ。アメリカでは1週間に1度飛び級するなどと言った数多くの伝説を持つ彼だが、今回はその伝説が生まれるための基礎となる彼の物事に対する姿勢、特に事業に対する姿勢に着目してみようと思う。

 まず、革新的な経営者たちに共通して言えることだが、彼も常により良い事業がないかを考え続けていると言う。彼の場合、「1日5分の発明」がそれである。1日5分の発明とは、構造的に伸びる、やる気を感じる、小さな資本でできる、競合が少ない、儲かる、社会性があるといった十数個の項目を考慮して考えられるビジネスモデルのことである。こうした日々の積み重ねから生まれたビジネスモデルは調査・分析を繰り返しブラッシュアップされる。彼は特にこの作業に時間をかけ、ソフトバンクでは5年分の完璧な事業計画を立案してあとはやるだけの状態を作るために1年半を費やした程である。とは言え、全てが彼の計画通りに進む筈も無く、数多くの壁にも直面している。しかし、それにも拘らず、彼は「No.1になる」という熱意でそれらを退け成功を手にしている。

 今回の講演を聞いて感じること、それは地道な積み重ねとこだわりがあることの強さである。つまり、普段華やかな成功だけが取り沙汰されているその裏では直向きな努力がなされそれが成功へ繋がっていること、また、こだわりを持つことで生まれるそれに対する情熱・熱意は論理以上に人を動かす力を持っていることである。この強さを持ち合わせる孫正義、彼が自信に満ち溢れた人物のように見えてしまうのは私だけだろうか。


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NO.15  『永守重信氏の講演を聞いて』

 「情熱、熱意、執念」「ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」という3つの言葉は日本電産株式会社の永守重信の経営哲学を集約したものである。28歳で日本電産株式会社を設立し、創業から15年目に大阪2部に上場、25年目に東京と大阪の1部に上場を果たした名立たる経営者の一人である彼は「企業の発展には人材教育が全てである」と断言し、社員に既述の3つの精神を植え付けることが大切であると説く。話を聞き終えての感想は、正直なところ、「根性で何とかしよう」的な彼の発想はあまり好きではない。しかしながら、状況を打開する際の考え方には学ぶところが多く、好きでないからといって簡単に無視できるものではなかった。以下では、「人材教育が全て」という結論に至った彼の考え方をまとめていく。

 まず彼は企業の成長を5年毎にフェーズ分けして捉えている。初めに「食べるために働き、夢はあるが仕事がない段階」。次に「仕事はあるが金がない段階」。そして「仕事・金はあるが、人がいない段階」、「人・仕事・金のバランスが良くなる段階」と続いてゆく。このようにフェーズ分けして企業の成長を眺めてみると、人・金のどれをとっても中小企業が大企業に及ばないという現実にぶつかる。しかし、彼は諦めずに時間は誰にも平等にあることに着目した。そして、金の問題を克服。だが、またここで新たな壁に遭遇することになる。人材不足である。一流の人材は大企業へ流れてしまうのだ。
 この難題を解決するために、ここでも彼は人を3種類に分けて捉えている。発火剤のいらない自燃型、発火剤を必要とする他燃型、そして何をしても燃えない不燃型がそれである。彼は自燃型が大企業に流れ、他燃型ばかりが入社してくる現実を受け止め、会社を発展させるには社員を育成する外方法はないという結論に至る。
 以上から明らかな様に、彼は眼前にある問題に対してそれをそのまま受け入れようとせず、まずその現象の本質を簡単に捉え、既成概念によって見落とされている部分を見つけ出し、それに適した対処を施している。この考え方には見習うべきものが多い。

 全体として、暑苦しさ漂う彼の思想は好きにはなれないが、上記の思考プロセス――現象を時間や類型で分ける考え方――は今後参考にしていきたいと思った。


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NO.14  『文明論之概略』  福澤 諭吉 著

<印象に残った言葉>
 「古人は古にありて古の事を為したる者なり。我は今にありて今の事を為す者なり。」

 この言葉の後には以下のように続いている。「…何ぞ古に学びて今に施すことあらんとて、満身あたかも豁如として、天地の間に一物、以て我心の自由を妨るものなきに至るべし。」古き悪習に囚われない自由な福澤諭吉の気風漂う前向きな言葉だったのでこれを選択した。私自身は古い考え方に縛られ、身動きが取れなくなる時が時折ある。それは偏に思考していないから、つまりは今まで見聞してきたものを考えもせずに受け入れているからである。そうと解ってはいても、気付くと身動きが取れなくなり、冷静に考えると何かに囚われている自分がいる。そんな私にとってこれは常に頭の隅に置いておかなければならない言葉である。

<感想>
 文語体で書かれているため理解することが難しい箇所が幾つかあり処々わからない文があったものの、直後に容易な例示をしているため大意は読み取れたと思う。私でも大意を掴めるように工夫された構成こそが福澤諭吉の実力であり、また『文明論之概略』が良書として130年も生きながらえてきた所以ではないだろうか。

 まず全文を読み終えて初めに感じること、それは福澤諭吉の一貫した日本の独立―福澤諭吉が言う鎖国時代の偶然の独立とは異なる独立―に対する並々ならぬ気概である。終始私は理路整然かつ気持ちの入った文の連続に圧倒され続けてしまった。それと共に、1つ1つの事象に対する本質を突いた物言いにも脱帽であった。ここで数ある物言いの中から幾つかを挙げると、「原因を近因と遠因との二様に区別し…(中略)…故に原因を探るの要は近因より次第に遡て遠因に及ぼすに在り。其遡ること愈遠ければ原因の数は愈減少し、一因を以て数様の働を説く可し。」や「自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し。」などがそれである。これらは抽象化されているが故に、当時だけでなく現代でも重要な考え方として肝に銘じておくべきものばかりだ。また、「昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然ば則ち今日の異端妄説も亦必ず後年の通説常談なる可し。学者宜しく世論の喧しきを憚らず、異端妄説の譏を恐るゝことなく、勇を振て我思ふ所の説を吐く可し。」とあるが、明治初期にしてアダム・スミスやガリレオを引き合いに出し本質を見出してしまう福澤諭吉には驚嘆するばかりである。

 さて、この『文明論之概略』で福澤諭吉は「国の独立は目的なり。今の我が文明はこの目的に達するの術なり。」と書いているように、内外圧が入り混じる明治初期に日本の独立には西洋文明を学ぶことが必要であると説いている(ここで言う独立とは精神の独立であり、また文明とは人の知徳の進歩である)。ここで文明国の仲間入りを果たしたと言われる現代の日本を省みると、明治時代に福澤諭吉が言った文明化―知徳の進歩―は成し遂げられたと言えるのだろうか。私は否であると考えている。なぜなら、名ばかりの科学技術が進歩する一方で国民個々人の知徳―日本古来の知恵(インテレクト)と徳義(モラル)―が世代を経るごとに低下しているという実感があるからである。皮肉ではあるが、それが達成されていないからこそ130年も前に書かれた国の独立を目的とする『文明論之概略』が今も尚読者に福澤諭吉の志の大きさを感じさせるのだろうと思う。

 最後に。福澤諭吉著の作品を読んだのは『福翁自伝』に続き2作目であった。『福翁自伝』の時も感じたように、独立のためには文明化が必要であるという首尾貫徹した考え方に改めて感服せざるを得ない。またこの作品では論理的に独立の必要性を説く作品故に、『福翁自伝』の時には見られなかった「言いたい事を解り易く伝える」表現方法を使うなどの新しい発見も多々あった。読めば読むだけ味の出てくる作品はそう多くはない、長い付き合いになりそうな作品である。


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NO.13  『シュンペーターヴィジョン』  R.L.ハイルブローナー 著

 ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター、彼は「世俗の思想家たち」の締め括りに相応しい人物であると心からそう思う。スミス、マルクス、ヴェブレン、ケインズと彼を凌ぐ名声を手に入れた名立たる思想家たちを差し置いて彼が最後に相応しいと思うのはなぜか。それは著者ハイルブローナー氏のこの一文に集約されていると私は考える。

「ヴィジョンという語そのものはシュンペーターのものである」

 振り返ってみると、今までに登場した世俗の思想家たちは自らのヴィジョンを意識していただろうか。恐らく彼らは無意識の内にヴィジョンを持ち合わせていたかもしれないが、答えは否であり、シュンペーターの様にそれを―過剰なまでに―意識していた人物はいなかった。そのためか、私にとって彼の考えはヴィジョンが先行しがちであり、論理は理解できるものの、果たしてそれが経済理論と言えるのか甚だ疑問であった。このことは著者も文中で述べているように、彼の考えは経済学ではなく歴史社会学と言った方が適切なのかもしれない。論理から導き出されるヴィジョンではなく、自らが思い描くヴィジョンから導き出される論理の方向へと世界が動くと信じていたシュンペーター、今なお私たちを惹き付ける彼はまさに知的巨人であると言えよう。


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NO.12  『アマルティア・センの魅力を探る冒険』  荻澤 紀子 著

 1998年アジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン、私は受賞後の彼の言葉に感動した。ここでは敢えて本文をそのまま引用することにしよう。

――心配しているのは、もっと貧しい人たちのこと。インドネシアやタイの貧しい人、米国の医療保険未加入者や西欧の失業者の方だ。資本主義に修正が必要なら、こういった点である。
――アダム・スミスに始まる経済学の偉大な伝統は、貧しいものに同情・共感することであった。
――国籍に関係なく、悲惨な境遇にある人々とその暮らしに関心を寄せることこそ、経済学の真髄なのである。

 彼の業績も然る事ながら、私は彼の思想の根底に存在する価値観に尊敬の念を抱かずにはいられない。上述の彼の言葉からも窺えるように、貧しい人たちに対する彼の姿勢は慈悲深いという言葉が最も相応しいと言える。また、正統派の厚生経済学が前提とする合理的個人の行動仮説に疑問を感じているところからも、彼の価値観を感じられるだろう。彼が関心を寄せる貧しい人たちが如何に合理的個人の行動仮説で説明できないか、それを知っている彼ならではの的を射た指摘であった。

 このような経済思想家たちの考え方を眺めていると、彼らの価値観が滲み出てくるような感覚を覚えることがよくある。まるで彼らの思想それ自身が1人の人間であるかのような、それくらい強烈な印象を受けるのである。彼らの価値基準に基づいて全身全霊を捧げて生み出される思想であるから、それくらいのエネルギーを秘めていても不思議ではないのかもしれないが、やはり圧倒されてしまう。

 価値判断を多分に含んだ考え方を展開したアマルティア・センを読んだことで、今まで腑に落ちなかったことが繋がり始めた。と同時に、私の書いた論文が如何に希薄な価値観の下に書かれていたのかにも気づいた。自らの価値観ではなく常識に捉われた論文がどれほどつまらないものか。この教訓を生かし、次に繋げて行きたい。


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NO.11  『ヴィクトリア期の世界と経済学の異端』  R.L.ハイルブローナー 著

 「正統か異端か」それは考え方が正しいか否かではなく、その時代の思想・風潮に適合するか否かで決定される。どれだけ正しいことを主張したとしても、それを受け入れられない背景や受け入れる必要性がない場合、異端者は時代の片隅に置かれ時には抹殺されてしまう。極端な例を挙げれば、17世紀前後のコペルニクスやガリレオ、ブルーノが異端者の代表格になるだろう。彼らほどではないにしろ、ヴィクトリア期のイギリスも正統派経済学者と異端派経済学者の運命がはっきりと分かれた時代であった。

 当時のイギリスは発展期にあり資本主義システムを悲観的に概観する人物を求めていなかった。従ってヴィクトリア期には資本主義システムを緻密な論理を組み立てて肯定する者が正統派となる。一方、資本主義システムを悲観視し、独創的な視点で資本主義システムの破滅を予言する者たちが異端派とされた。人間を「快楽機械」とし数理心理学で説明したフランシス・シドロ・エッジワースをはじめ、フレデリック・バスティア、ヘンリー・ジョージ、ジョン・A・ボブソンなどがそれである。

 彼らの思想は私を魅了するものであった。確かに、正統派の経済学者であるアルフレッド・マーシャルの論理などと比較すればその論理は不完全なのかもしれない。しかしながら、彼らの独創的な思想は的を射ていないとは言えず、時代背景が異なれば正統派となっていたことだろう。

 先に挙げたコペルニクスのように、異端として掻き消されてしまう思想は真理を突いていることが間々ある。絶対的に信じられた正統がある世界では、常識外れの異論は異端でしかないようだが、裏を返せば、突拍子もないことを主張する人物を見つけたら注意せよ、と歴史の異端者たちに示唆されている気がするのは私だけだろうか。


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NO.10  『ユートピア社会主義者たちの夢』  R.L.ハイルブローナー 著

 なぜユートピア社会主義者たちは登場したのか。なぜ彼らは現実とは乖離した空想の夢物語を描く必要があったのか。その現場にいなかった私には理解できないほど過酷で残酷な状況がそこにはあったのだろう。19世紀前半のイギリス、そこでの労働者階級の待遇は悲惨なものであった。1日16時間労働や桶の中の残飯を豚と奪い合わせるなど、資本家階級は彼らを同じ人間として扱っていなかった。さらに、アダム・スミス、リカード、マルサスによって形成された経済法則はいつの間にか不可侵なものとなり、経済法則の下で生じる残酷な世界は必然的に成す術のないものとなってしまっていた。この状態を打開しようと極端な思想を展開したのがロバート・オウエン、サン・シモン、シャルル・フーリエをはじめとするユートピア社会主義者たちである。

 彼らの思想やそれに基づく行動は私に強烈な印象を与えるものであった。オウエンは、貧困問題を解決するためには貧しい人々を生産活動に従事させることが必要であると説き、それを実現する「共同村」の建設へと私財を注ぎ込んだ。また、シモンやフーリエの思想もサン・シモン教会やファランクスを産み出すに至った。今、私を取り巻く環境が彼らの生きた時代と同じものであったとしたら、私は夢物語を描けるだろうか。恐らく描くことはできないし、できたとしても行動に移すことはできないだろう。そう考えると、彼らは自らの思想に対して絶大な信頼を置いていたことがよくわかる。彼らにとって、彼らの思想は夢物語ではなく現状を打破する唯一無二の考えであったのだ。

 私は彼らの信念を追い続ける姿に敬意を表したい。彼らが決めたことを成し遂げる過程では、一時停止はあっても後退はないのだ。この姿勢は私にとって最も欠落しているものの一つであり、見習わなくてはならない。今の私の環境にはそれを修得できる可能性が大いにある。努力すればなんとかなるはずである。何せ「人間は環境の生き物である」のだから。


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NO.9  『マルサスとリカードの陰鬱な予感』  R.L.ハイルブローナー 著

 アダム・スミスの調和的世界と言う楽観的なヴィジョンが提示されてから数十年、早くも彼とは180度異なる思想、つまり時代の視点を楽観論から悲観論へと変えてしまう二人の人物が登場する。その人物こそマルサスとリカードである。

 マルサスは著書『人口論』の中で「人の数は幾何級数的に増えるのに対して、耕作可能な土地の量は算術級数的に増えるのみである」と、続けて「その結果、大飢饉が背後からそっとしのびより、世界の食糧水準と人口を同じにしてしまう」と述べている。それ故彼は人口拡大を助長する貧民救済の撤廃を力説するなど、世間に「道徳的抑制」を迫るのだが、それが不道徳とみなされ30年間も人々に罵られることになる。

 一方、リカードは「誰もが一緒に進歩のエスカレーターを昇っていくという社会理論の終焉」を予見し、現状の社会から利益を得ることができる唯一の存在である地主を否定している。中でも国内の既得権益を擁護するために制定された穀物法に対して「地主の利益はあらゆる他の階級の利益に反している」と、より一層痛烈な批判を浴びせた。また彼は人々に罵倒され続けたマルサスとは異なり社会的地位と尊敬を手に入れることができた人物でもある。

 以上のように彼らは社会を悲観的に見ていたという点では同じであったが、その他の点では相反する人物であった。現実世界を観察し地主擁護を主張する学者のマルサス、理論家肌で地主を批判する実業家のリカード、この形容を見るだけでも主張、立場、思考が違うことがよくわかる。それでいて、この二人が親友と言うから尚興味を引く。彼らが後世まで名を残せたのは、互いに違った視点から議論を交わせる親友がいたからではないだろうか。切磋琢磨できる親友がいること、それ以上に自らを成長させる外部要因はないだろうと思う。


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NO.8  『アダム・スミスのすばらしい世界』  R.L.ハイルブローナー 著

 18世紀のイギリス、そこは残酷かつでたらめな無秩序な世界だった。その中から偉大な市場の運動法則を見出した人物がいる。そう、彼の名は『国富論』の著者であり「見えざる手」で知られるアダム・スミスである。

 彼は他の偉人たちと同様に奇行が大変多かったようだが、それに劣らず社会に対する洞察力もやはり素晴しいものを持っていた。その洞察力の凄まじさを窺えるのが著書の『国富論』であろう。18世紀の状況が手に取るようにわかるこの本の中で、彼は市場メカニズムについて一層深い考察を加えている。

 社会を結合させるメカニズム、つまり、万人が慌ただしく私利を追求している社会がどうして存続可能なのかということに彼は興味を持っていた。こうした興味から導き出された答えが「見えざる手」であり、これによって私利の追求と競争が社会的調和を導くという一見矛盾しそうな結果を説いたのだ。個々人が合理的に行動した結果、競争が生じ社会余剰が最大化する状態に収まる。そして、その機能を十分に発揮させるためにも完全に自由な制度を整備する必要がある。今となっては、このような考え方は経済学を少しでも学んでいれば当然のように聞こえるかもしれない。しかしながら、当時を想像して考えてみると彼の洞察力はやはり驚嘆に値するものである。

 彼は自らの生きる時代を百科全書的な視野と知識を駆使して正確に分析し描写した。200年以上も後の現代でさえ彼の考えた市場メカニズムが経済学の基礎となっているのだ。これ以上に彼の鋭い分析を証明するものは無いであろう。

+ 追記 +
 新しい視点で世の中を描写する人間は往々にして誤解されることが多い。彼の場合、『国富論』における新興企業家たち解釈が彼の主意とは異なったニュアンスで捉えられてしまった。そのため、彼が否定的に見ている産業家の行動の理論的根拠として利用されるという皮肉に直面することになる。これはマルクスにも当てはめられるのだが、このようなことは歴史的にままあることなのだろうか。今後注意して見ていきたい現象である。


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NO.7  『マルクスの描き出した冷酷な体制』  R.L.ハイルブローナー 著

 「マルクスは現実の社会主義の建設者ではなかった」この一文はカール・マルクスという人物を語る上で非常に重要なものである。世間一般に認識されているマルクスは社会主義の立役者でありそれを過大に主張した急進的かつ過激な学者というものであろう。私もそのように認識していた。しかしながら本章を読み進めると、一般的なマルクス像は虚像であり、彼の思想を全くと言っていいほど表現できていないことに気づいた。

 では、彼は社会主義者たちのバイルブとなった『資本論』の中で何を主張しようとしたのだろうか。それは「共産主義の創造」ではなく「資本主義の崩壊」であった。資本主義の欠陥を緻密な論理を組み立てて指摘し、その行く末に待ち構えているものは崩壊以外の何物でもないことを主張していたのだ。つまり、社会システムの理想が共産主義であると主張していたのではなく、資本主義の代替システムとして共産主義思想を描き出していたのだ。

 しかし、彼の冷徹な分析は論理的で完璧であるように見えるが、見逃してはならないところもある。それは彼の資本主義に対する否定的な姿勢である。彼は資本主義システムの中で苦しむ現実の世界を目の当たりにしていた。そのため、彼は資本主義の欠陥を説明するために現実を捉えきれていない理論的に完璧なモデルを用いてしまったのだろう。従って、完璧な資本主義モデルでは彼の言うように崩壊は不可避であったかもしれないが、実現することはなかったのだ。

 以上からわかるように、彼は過激な革命家ではなかった。むしろ資本主義の理論上の欠陥を指摘し、より良い社会システムを提案した冷静な経済学者であったと言える。ただ、時代が時代だったために、彼の思想は誤認され過激な社会主義の立役者にまでされてしまったのだ。全く不運な人物である。

 彼の思想を読み解くことが共産主義の理解よりも、資本主義の理解につながるとは世間の考えと比べ逆説的であるのがおもしろい。


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NO.6  『創造の方法学』  高根 正昭 著

 創造とは、本著によると「物事の原因と結果を把握し仮説を構築、そしてその仮説を理論にまで持っていく」ことである。つまり物事をしっかり「考える」ということだろう。例えば新しい情報を得た際に、それをそのまま自分の知識にしてしまうのではなく、まずは「なぜ」と問いかけてみることだ。これはよく言われていることであるが、そのような習慣が身についていない私にとってまさに言うは易し行うは難しである。

 アメリカと比べ日本には創造をする習慣がないと文中にある。明治以降、日本は海外から知識を取り入れ模倣するばかりで、新しい知識を自ら生産することなく成長してきた。「なぜ」と問うことなく過してきた結果、ウェーバーについての知識は豊富だがその理論を使って新しい観察をするわけでもないウェーバーの専門家や、既存の考え方を継ぎはいで作った論文を書く学生が多く存在してしまったのだろう。正しく今までの私もその一人なのである。

 しかしながら、上述の日本人に陥りがちな模倣体質は訓練によって抜け出せるはずだと信じている。手本の一人が著者であるし、周囲にも少なからずいる。そして今、私自身が身につけようとしているのは他ならぬこの考える力なのだ。

 ここまでを振り返って見ると、現在学んでいる経済学や計量経済学(統計学)は筆者の言う創造をするために非常に重要であるということに気づく。特に経済学は、因果関係から仮説を構築してシンプルな理論を創り出しているゆえに筆者の言う創造の方法と酷似している。と同時にその理論は仮説の延長でしかなく、より信頼の置ける仮説にとって変わられる可能性を孕んでいる側面を見ても経済学と創造の類似点を見て取れる。

 今後、私は創造しなければならない場に幾度となく直面するはずである。最初からうまくいくはずはないのはわかっている。しかし、「自分で考える」と心がけてひとつひとつをこなしていくことで着実に成長していきたい。


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NO.5  『加藤紘一氏の講演を聞いて』  

 加藤紘一、堂々とした姿勢だ。しかし、横柄な印象は無い。好感は持てないがその逆でもないといった感じだろうか。また、ひとつひとつの話は非常にわかり易いが、現実を描写しているだけで味気無く、全体としては非常に回りくどく感じた。もちろん参考にすべき内容の話も中にはあったのだが、今回は話の内容よりも彼が話しの最後に学生に質問したことについて考えたいと思う。

 日本、この国は明治維新後、西洋流の「富国強兵」「殖産興業」を目標に中央集権国家として政府が舵取りを行ってきた。戦争という一時の挫折はあったものの、戦後は世界でも類を見ないほどの経済成長を成し遂げ、世界最大の経済大国の一つにまで成長した。このように頂点にまで登りつめた日本人だが、海外の人から見ると幸せな顔をしていない人が多く映ると言う。

 それはなぜか。私はこう考える。富の多さが幸せの大きさではない。と同時に生活水準の高さも幸せの大きさに比例するわけではない。このことは経済成長を目指し奮闘している国の人間から見ると信じられないはずだ。

 では何が幸せをもたらすのか。それは人によって異なり一般化することは不可能である。もちろん富を求める人もいる、また富以上に余暇を求める人もいる、その他も然りである。しかしながら、政府主導の経済成長の名残だろうか、日本において「富=幸せ」という固定観念があるように感じる。この考えが自身の本当に欲することを犠牲にしてまで働く人々を生み出し、富があっても幸せそうな顔に見えない日本人が多い所以ではないだろうか。

 『福翁自伝』やその他の本にもあったように、ここでも今まで当然と考えていたことを疑うことが重要になってくる。「指導者たちと自分を同格に置いて考える」という加藤紘一の言葉も遠からず同じ意味を含んでいるようだ。鵜呑みにしないこと、自分の頭で考えること、シンプルなことが大切であると念を押された講演であった。


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NO.4  『ソースタイン・ヴェブレンが描く野蛮な世界』  R.L.ハイルブローナー 著

 19世紀のアメリカ、まさにそこは新世界であった。資力だけでは到達できない社会階級が存在するヨーロッパの旧世界とは異なり、この国では富こそが上流階級に入るための一番の近道であった。そのため、たとえ暴力的な手段によってその富が作り上げられたとしても、それが上流階級へのパスポートであることに変わりなかった。このような現状を経済学者たちはヨーロッパの古典派経済学に当てはめて考えようとしたが、新しく出現した世界を全くと言っていいほど捉えていなかった。時代は新しい考え方を必要としていた。現実と距離を置き、客観的にアメリカ経済を見つめることができる人物を。そこで登場したのがソースタイン・ブンデ・ヴェブレンであった。

 ヴェブレン、一言で言えば変わり者である。本文中にあるように「同時代の人々にはごく自然に見えた人間の行いが、彼にとっては人類学者の目に映る未開社会の儀式のような、魅力的かつ異国風で奇妙な行為に映った。」のだから。普通の人間ならば躊躇うことなく常識として蓄積される人間の行いを奇妙に感じてしまうその感覚、これこそが彼に備わった才能であろう。

 さらに、彼は「どうして事態がうまく収拾していくのか」ではなく「そもそも現状がそうなっているのはなぜか」を突き詰めて考えることによって次々と物事の本質を見極めていった。時に彼の主張は「実業家は制度の破壊者である」や「経済行動の動機は心の奥の不合理性に基づく」など常識と真逆なものであり、常識に捉われていない様子を多々うかがうことができる。

 彼の人生を眺めていると、的確な物言いには精神的な客観性が必要であることを感じずにはいられない。常識に捉われないということは、容易なことではないが、常に思考を対象の外側に置いて物事を客観的に見ることがその第一歩であることを彼の人生が物語っているようだ。


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NO.3  『J.M.ケインズが打ち出した異論』  R.L.ハイルブローナー 著

  ジョン・メイナード・ケインズ。言わずと知れた経済学者である。私が本章を読む前に持っていたケインズのイメージは「経済学一辺倒の堅物」という根拠の無い偏見の塊であった。しかしながら、本章の読み進めるに従い、私の予想とは180度異なるケインズがそこにはいたのである。

 ケインズはまさに天才・鬼才であったと記されている。多少の誇大表現があるとは思うが、それは私の想像を絶するものであった。幼少の頃、5歳にも満たない頃より利子の経済的意味を考え、6歳の時には脳の働きを考えていたのだ。そして彼は成長するに従い頭角を現し、大学ではマーシャルに認められ、またブルームズベリーの母体に所属するなど経済学や芸術といった分野でその才能を遺憾無く発揮し、その後大学を出てからは文官としての仕事をこなしつつ経済学の研究を行い、一方でビジネスとして劇場を作ったとか思えば、また一方で保険会社の社長になるなど幅広く活躍している。

 また、彼は数多くの書物も残している。ヴェルサイユ条約の批判として書かれた『平和の経済的帰結』や経済の循環を説いた『貨幣論』、貨幣論の失敗から生まれた『一般理論』などがあるが、それらは時代の要請に応えるかの如く絶妙なタイミングで執筆されたのだった。

 ここで私はふと思った、ケインズの考えや行動が福澤諭吉と酷似していると。特にケインズの大学時代の生活は福澤諭吉の適塾での生活、またより良い資本主義経済を創造しようと取り組んだケインズの執筆は文明開化を目指し執筆を続けた福澤諭吉とリンクしているように見て取れる。次の時代へと牽引した両者の原動力は理想を持っていたということであろう。物事をいくら見ぬけたとしてもそれが無ければ何の役にも立たないのではと私は考えされられた。世の役に立たない頭ばかりの堅物になってはならないと、堅物だと思っていたケインズに教えられてしまったようだ。

 最後に、それまでの常識に捉われず本質を突いたケインズの理論にも感服である、しかしそれ以上に、その根底にあるより良い社会を作りたいと思う彼の熱意に私は心を打たれてしまった。


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NO.2  『社会調査のウソ』  谷岡一郎 著

  「社会調査を鵜呑みにしてはならない。」これが本書から学んだことだ。恥ずかしながら私は本書を読むまで新聞・テレビなどで目にする社会調査をほとんど鵜呑みにしていた。もちろんマスコミから供給される全ての情報が正しいとは考えていなかったが、調査を実施した機関が政府などの場合、調査結果そのものを疑うことをしていなかった。なぜ疑わなかったかと言えば、第一には調査方法論を知らなかったことが挙げられる。しかしそれ以上に無意識的に権威のある機関を疑わなかった自分がいたことが原因であると思う。

 『世の中の社会調査の過半数が「ゴミ」である』と筆者は文中で述べているが、正直冒頭のこの一文に驚かされた。私たちが普段触れている社会調査の半数以上が「ゴミ」ということである。いくらなんでも大袈裟だと思い高をくくっていたが読み進めるうちに次第に危機感を覚えるようになっていった。と言うのも、歴代大統領の人気投票やサッカーくじの賛否など本書で紹介されている「ゴミ」を日常生活の新聞やテレビで見ていたら確実に鵜呑みにしていたと思うからである。私がどれだけ「ゴミ」に惑わされていたのかを実感した瞬間だった。著者が言うように、このような事態に陥らないためには、大量に垂れ流される情報の中から「ゴミ」を切り捨て、有用な情報を得るリサーチ・リテラシーが必要であると感じた。

 また、社会調査がいかに偏りだらけかを知ったことは私にとって一番の収穫であった。今まで疑うことをしてこなかった政府などの機関の調査にも当然のように偏りが存在し、疑ってかかるべきということだ。このことは今後新聞などで調査機関に関係なく社会調査の記事を疑って読む良いきっかけになったと思う。これからは文章と共にデータの本質も見極められるリサーチ・リテラシーを備えた人間になれるよう日々精進である。


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NO.1  『福翁自伝』  福澤諭吉 著

  「自分」をこれほどまでに明確に持っている人がいるなんて信じられない。これが福翁自伝を読んで正直に思った感想だった。幼少時代の家の風や漢学、蘭学、英学の修業中に学んだ書物ばかりでなく、実際に肌で感じた経験などから導き出される揺ぎ無い考え。周囲の声や古い時代の名残に左右されない確固たる自信を持って行動している様。特に幕末から維新という激動の時代においては常識が非常識へと変わりまたその逆もありと、ともすれば本質を見失いがちになるその時代でさえ、福澤諭吉は確固たる自分の考えを見出し貫き通してきた。

 しかしながら政治の話となると、福澤諭吉は西洋文明を取り入れ、独立心を養うことが必要であるという自身の考えを説きながらも生涯政治の表舞台に立つことはなかった。政治に直接関わるのではなく、著書翻訳や慶應義塾を創設することで国民を啓蒙し、間接的に国の発展に貢献する道を選んだ数少ない一人だった。その点において福澤諭吉の国への貢献度は計り知れないものと言えるだろう。

 また文中には、多くの経験から導き出された言葉が記されており、その一文一文は物事の本質を改めて考えるきっかけを与えてくれる。中でも最も印象に残っている言葉が「自分の身の行く末のみ考えて、あくせく勉強するということでは、決して真の勉強はできないだろうと思う」という一文だ。この一文のように、その文だけを取り出して考えると非常に根本的な事柄を問うている文が本文中には多々あり、これからの私自身が物事に対してどのように向き合っていけば良いかについて考えさせてくれる。

 最後になるが、今回福翁自伝を読むことで人間らしい福澤諭吉に出会えたことと、福澤諭吉の意思を継いだ大学で学んでいることの責任感をひしひしと感じられたことが良かった。


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( C ) M . K A l l r i g h t s r e s e r v e d .

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